日報_20190103

 三が日最終日のきょうはまったり過ごすことができました。昨日が移動距離が結構長く、ハードだったため体力回復に充てた感じですかね。冬は元々弱く一日中眠いのですが、腰痛予防のために敢えて体を痛めつける筋トレ(とストレッチ)をやっているため、例年にも増して眠いです。

 三が日、SE っぽいことは一つもしませんでしたね。オンオフをしっかり切り替えているとも言えますが、「好きだから職業にしている」自負も少しはあるので、少しぐらいは勉強すれば良かったかも。

 

 大晦日ぐらいからちょこちょこ読んでいた安部公房の『砂の女』(1962) を読み終わりました。国文学の教養はほとんど全くなく、どう説明するのが適切か解らないので、象徴的な小説と言えば良いのか、不条理小説と言えば良いのか、形容が難しいですが、他の古典的名作と同様に一度読んだだけではただただモヤモヤするだけですね。面白いとか、コーフンするとか、そういったシロモノでは決してないです。

 ぱっと見は社会主義共産党批判に読めましたし、実際に 1960 年には作者が「日本共産党が綱領を決定した第8回党大会に批判的な立場をとり、党の規律にそむいて意見書を公表し、その過程で党を除名される。」[Wikipedia] という史実があったようです。砂(害)、すなわち流体という乗り越えるべき対象があるのに対して、主人公や女が村から強要されるのは毎日同じルーティンワークで、女だけではなく主人公までもが最終的には村の価値観に絆されていきます。理性が同調圧力に粉砕されると言えばそれまでなのですが、そこは名作なので、それまでの過程、主人公の葛藤とその描かれ方が秀逸であることに疑いはありません。

 過去に修論で題材としたハーマン・メルヴィルの短編小説 "The Paradise of Bachelors" や "Tartarus of Maids" は資本主義社会の批判でしたが、今回のような共産主義批判でも、登場人物の挙動は割に近いものになっている気がしました。修論メルヴィル安部公房を比較すれば良かったとまでは思わないのですが、せめて頭の片隅にでもこの物語があれば、もっと上手に書けたのではないかなあと思っています。

 以上は、これまでの知識でも読める(そういう風にバイアスを自分で掛けて読み取っている)読み方なのですが、読書する上で多様な読み方ができた方が面白いのは確かです。

精神分析って、学生時代に全く興味がなかったので、全く勉強しなかった読み方です。フーコーとかラカンとか、難し過ぎてパスしてましたね。ちなみに、「精神分析的に批評するのが良さそう。」と書いたのは、作者が精神分析のタームを作中で使っていたからというだけです。

 いろんな読み方が出来れば、いろんな考え方ができるようになって面白い…はずなので、改めて文学理論のお勉強でもしてみようかなと思った次第です。

 文学理論について、昔読んだ記憶が少し残っているイーグルトンを再読しようかなあ。マルキシストなので、記述は偏ってくるんだろうけども、文章は面白かった記憶があります。バリーはもはや文学系では一般的な教科書みたいで、私も原書版をゼミで読みました。全く覚えてませんが。カラーはなんと言うか…無視できない感じですかね。

 

文学理論講義: 新しいスタンダード

文学と文学理論

文学とは何か――現代批評理論への招待(上) (岩波文庫)

文学とは何か――現代批評理論への招待(下) (岩波文庫)

 

砂の女』でもパノプティコンみたいなのが出て来他ので、この機会にフーコー先生に挑戦してみようかと。

 

 

時間

09:00-24:00 (10:30-12:00 昼寝)

 

成果物