文系の夫

文系は作者の気持ちでも考えとくわ


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妻に捧げた1778話

  『妻に捧げた1778話』を読了した。最近私が密かに考えていること--どうやって死に向かうべきか、死を迎えるべきか--が実践され、結実した書籍で、非常に勉強になった。土曜日にも、妻と出掛けた道すがらちょっとした口論になったのだけれども、折れるべきは私だったと珍しく反省した。

 著者は、癌で闘病生活を送る妻の死を明確に意識しながら、自らの家族について次のように考えたという。

とにかく、将来というものは考えないようにして、今を生きるのだ。ひとつの家庭としては、これはすでに日常ではなく、非日常の日々である。ずっとつづく非常事態なのだ。だが、だからといって、悲しみに浸っていたり運命を呪ったりして、何になろう。最善の手を打ち普通に暮らし、終末の日をできるだけ先に延ばすしかないのである。

眉村卓。『妻に捧げた1778話』(新潮新書)(Kindleの位置No.1463-1467)。新潮社。Kindle版。

 著者の家庭は確かに、将来を見据えてアクションする一般的な家庭とは別の形を取っている。最善の手を尽くして死に向かうという至上命題によって、著者の家族は生きるための強い動機を得たようだ。小説家である著者にとっての最善の手は、妻に向けて物語を書くことであった。著者はショートショートを書くことの苦労を次のように振り返っている。「毎日書く短い話には、どう避けようとしても、自分の心の底にあるものが反映されてしまう。私にできることは、いかにしてそれを表面に出さないかであった。」(ibid. ) 

 著者と世代が違う私には、物語の中からこのことを斟酌するのは難しかったが、1777 話目の「けさも書く」には、次のような一説があり、ここでやっと意味が分かった気がした。

そして、きのうからきょうにかけて、妻の終末は明白になっている。にもかかわらず、というよりそれだからこそ彼は、書くために、携行用の原稿書き道具を持って、この喫茶店に来たのであった。(ibid. 1542-44, 強調引用者)

書名から判る通り、これはラスト前の話(物語)だ。非道い書き方をすれば、この物語は現実の妻には届かない(可能性が高い)。しかし、この時点で 1777 日、つまり約 5 年ものあいだ妻の命と著者の創作は続いていることもまた現実であり、翻って、創作が続く限り、妻の終末の日をできるだけ先に延ばすことが出来るのではないかという希望を持って「彼」は書くことにしている、書かずにはいられないのだと私は解釈した。

 著者の物語は一貫して「夢物語でも荒唐無稽でもいいが、どこかで必ず日常とつながっていること。」という厳しい制約を課せられているが、少なくともこの物語において、物語と日常を繋いでいるのは著者の希望であり、願いだと私は思っている。現実の妻に届かないからこそ、物語の中の「妻」は「それ、エッセイやんか」と言うように書かれたのだ。著者は、妻と最後の会話を交わすことを、物語の中で、実現させたのだ。

 

 

 

妻に捧げた1778話 (新潮新書)

妻に捧げた1778話 (新潮新書)