文系の夫

文系は作者の気持ちでも考えとくわ


文系は作者の気持ちでも考えとくわ

一人の自分への処方箋

 昔からなのだが、友達が少ないのが悩みである。仲良くなるのは 10 以上歳上の人(同性)である場合が多い。

 中学二年の時の担任から「大人びてるよな。同い年のヤツやと気が合わないやろ。」と言われた時に自覚し始めたのだが、私はどうも「トシとりたがり」な人種であるらしい。今を生きるのが苦手で、どうも 10 年後、20 年後の自分をイメージしていたいらしい。ああ、早く定年退職したい。

 30 を過ぎて思うことは、上記の傾向は強まるばかりで、最近は死ぬことばかり考えている。念のために書いておくが、自殺について考えている訳ではない。天寿を全うするその瞬間のことを考えている。何を思いながら自分は死の瞬間を迎えるのかを考えている。

 昔『武士の家計簿』という映画を見たのだが、堺雅人さん演じる主人公の武士(今で言えば経理マン)の生き方は正に自分と同じで、親近感を覚えた。つまり、「人の目を真っ直ぐ見られるように」、「死ぬ時に良い人生だったと思えるように」生きる、ということを心掛けている。

 実際には、嫌いな人間の目を真っ直ぐ見ることはしないので、厳密な「武士」とまでは行かないが、仮に自分に子どもが出来たとしたら「お父さんは不器用だけど、できるだけ真っ直ぐ生きて来た」と言える自信はあるし、息子/娘の目を真っ直ぐ見ることは簡単なことだろう。なんたって、やましいところがこれっぽっちもないのだから。

 だが、最近になって、自分が真っ直ぐに生きて来られたのは、一人ぼっちだったからだったのではないか? と考え始めた。一人であれば、真っ直ぐに生きることは自制心一つで実現できる訳だから簡単だ。おそらく、人生の軸がブレたり、自分の中で譲れなかったものを譲ってしまうことは他人との関わりの中で生まれる望まない悲劇なのだろう。

 自分は孤高の存在だったのではなくて、ただ孤立していただけではないのか。実は人脈を駆使出来ていないただの残念な不器用なのではないだろうか。他人を有用・無用だけで取捨選択して来たのではないか。そんな「問題」を一人の自分への処方箋として出してあげて、満員すぎて何も出来ない電車の中で考えるなどしている。

 自分とは何なのか、他人から見て利用価値がないから一人で居られるのではなかろうか。であれば、自分から他人に媚びてでも近付かなければ一生一人なのではないだろうか。考えは尽きない。少数ではあるが、10 代から続く友人が居てそれなりに良い関係を築けていると思っている。ありがたいことだ。

 20 代で友人が 10 人も出来なかったのは残念だが、20 代はもう帰って来ないし、結構大変だったから仕方あるまい。30 代では友達を 100 人作りたい。自分でタイプして見て笑ってしまうが、有用な人脈を築くことと、その人脈の中で自分も有用であるように努めることを目標としたい、と書けば少しはカッコつくだろうか。

 僕は友達が居ない。未だ友達を持つ程の価値がないから。頑張るしかあるまい。