文系の夫

文系は作者の気持ちでも考えとくわ


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ライフログどこまでつけるか問題

 ライフログをどこまでつけるかという課題には何年経っても答えが出せない。紙の日記に書けば全てを詳細に記載することが出来るが、それは外部から一切を遮断された内省となる。一方でブログに書けば何らかのフィードバックが期待出来るかもしれない。(そして、日記帳のように紛失を恐れる必要がない。)ただし、自らがインターネットの海に垂れ流せる個人情報の量には自ずから限界があるし、何より勤め人の場合には詳細な仕事内容を公開することは通常厳密に禁じられている。ブログは確かに便利だが、手枷足枷を嵌められて雁字搦めにされるという点で酷く不自由なものであり、ナニをドコまでドウ書くかについての悩みは尽きない。

 私が悩んだ結果は、インターネット上のあちこちに散らばっている。私が初めてブログを書いたのは 15 年前でそれはココログだった。眞鍋かをりさんのブログ(本)が流行った頃だ。社会的にもブログを書くことが当たり前になっていたと思う。また当時は mixi が流行っていて、twitter も流行り始めたときだった。当時私はまだ十代の怖いもの知らずで、世間も今ほどコンプライアンスコンプライアンスしていなかったのでかなり自由に書き散らしていたような気がする。その後 gmail の普及とともに Google の存在を知って Blogger に移ったり、芸能人が盛んに使っていたアメブロを使ってみたり、果てはインテリを気取ってはてなダイアリーに移ったりした。そして、ここからは最近の状況と変わらないが Facebook という友達を網羅しつつ友達にのみ公開出来る調度良い機密性を持った媒体が現れたと思ったのに、誰も書き込まなくなり、今やレイバンと婚活サイトの広告サイトに成り下がってしまった。どうも私以外の、仲良くない「友達」に真面目に媚を売る一般的日本人には Facebook の機密性はイマイチだったらしい。そして一般的日本人が望む機密性はインスタグラム(鍵付き)に委譲されたように思う。

 上記のように 15 年でメディアは結構コロコロ変わっている。昔からあって、今も「現役」と言えるのは twitterはてな(ダイアリーからブログに変わったが)と Blogger ぐらいかなというのが私的な見解である。もっとも、はてなBlogger が爆発的にヒットしたことはなくて、細く長く堅実にサービスを維持・向上してくれているという印象だ。新出のインスタグラムがどこまで長生きするかは全く分からない。

 初めの課題に戻ると、ライフログをどこまでつけるかについて、折角書き散らしたものがあるのだから、一旦集約したいと思っている。残念ながら、浪人したときの黒歴史は(はてなダイアリーに書いていたが)削除してしまった。(三十を過ぎるて思うことは、浪人時代が一番頑張っていたのだが。)就職する際に「公開」と引き換えに twitter の過去ログを削除したのだが、恐らく twitter については csv 出力したファイルが残っており復元可能で、19 歳ぐらいからブログに書いたライフログの断片は残っている。これらを一旦集約して、一時的にインターネットの海に放流しても、誰も私のことなど気にしてはいまい。だからゆっくりと編集すれば良いというのは気楽に考えすぎだろうか。

 ライフログを整理しよう、ちゃんとつけるようにしようと思い立ったのは、自分の人生にあまりにも無駄が多く、それはつまり人生の岐路で基本的に間違った方向に進んでしまっているからという動機が一つ。そして、私も子どもを作るべき年齢に達したからというのが一つある。結婚してからは、間違った方向に進むことは少なく、むしろ正しい方向に矯正されることが多い。これは偏に妻との対話による恩恵だ。これまでの私は「(社会的な)あるべき論」に出来る限り添う形で生きてきたが、そこでは自分という絶対不可避な存在あるいは価値観が軽視あるいは無視されていたように思う。社会的に評価されることはあったが、息苦しく詰まらない期間はかなり長かった。

 これまでの大したことのない人生で、他人からのアドバイスを真に受けたことはほとんどなく、他人の智慧を借りるべき場所では気合いと根性でもって本当に独力でサバイブしてきた自信もなくはないのだが、三十を過ぎ、徹夜すら覚束無くなってきた私は大人になるという意味で他人のお智慧を拝借してもっと効率良く生きようという方向にシフトしつつある。